第二回「人生変わる、ってどういうこと?」議事録

 

 

 

こんにちは。

DIALECTIQUE札幌の白水(めんめん)です。

第二回哲学対話カフェin Sapporo「人生変わる、ってどういうこと?」にご参加いただいた皆様、日曜日の朝からお時間を頂きありがとうございました。様々な意見がさも当然のように出てくる様子は、一人で考えるのとはまた違った楽しみだなぁと思いました。意見の多様さに対して、どれかの考えに対してじっくりと腰を据えて向き合うことは今回はあまりできなかったように思ったので、その点はもったいなかったかなと感じています。

次回以降もより一層面白い会を目指していきたいと思います。初めての方ももう一度の方も、是非足をお運びください。

 

今回は、第二回哲学対話カフェin Sapporoの議事録になります。今回も、テーマである「人生変わる、ってどういうこと?」に対する見解をまず発表してもらって、それからみんなで対話を開始する、という流れで行いました。そこで出た考えの一部を記録として書き残しておきたいと思います。

記事の最後にまた提題者としての感想なんかも載っけてあります。

 

 

************************

 

 

〇「人生変わらない」派

そもそも「人生が変わる」ことなんてないという考えが提示されました。その根拠はあまり議論されませんでしたが、おそらく、人生が一本道であるのは誰にとっても明らかなことなのに、それが「変わる」って言われることに違和感がある(A地点からB地点へ向かうのに、どこかで右折したからと言って「AからBへの道が変わった」とは言わないように)、というような共通理解があったのではないかと思います。一方で、人生が変わらないなんて考えても仕方がない、という意見もありました。

人生が変わらないとして、それでも何事かを選ぶ、主体的に引き受けるということは可能なのか、という話題にもなりました。最初に意見を発表してもらったときに、「自分が納得して決めたことに対して、行動に移す」ということが人生が変わることだという意見も出ていたので、主体性というのはこの問いを扱ううえで非常に重要なキータームだと感じました。

 

 

〇主観的な変化と客観的な変化

人生が変わるとして、どういうふうに変わるのか。大きなイベントなどに象徴されるような客観的な変化と、考え方や性格など内面的な部分の主観的な変化とがあるような区別が、明確に提示されたわけではないにしろ、なんとなく設けられていたような気がしました。ある大きな客観的な出来事はそれだけで「人生が変わる」ことだと言えるのか、それともそれが内面の変化を伴うからこそ「人生が変わる」出来事になるのか。客観的な出来事のなかには、考え方が「変わらざるを得ない状況」にさせるものもあるという点も指摘されていました。また、人生が変わるとは、「生き方(どう生きたらよいかの考え方)が変わる」ことだという意見も出ていました。いずれにせよ、この点についてはもっと多くのことが論じられる余地があったように思いました。

 

 

〇「解釈が変わる」のが人生が変わることか

あるイベントを、しばらくたってから思い返してみると、これまでとは違ったふうに見えることがあります。このような現象についても幾度か言及があったので、これは人生が変わるということなのか、はたまたこれは人生が変わることの証拠に過ぎないのか、それとも人生が変わることとはあんまり関係がないのか、など色々考えてしまいました。話のなかでは、人生が変わるということの一つの側面としてこの現象があるという認識がなされているようでした。

 

 

〇他人の人生

「人生が変わるってなに?」というテーマのもとでは、みんなつい自分の人生について考えてしまいがちですが、たとえば自伝なんかに載っている他人の人生も人生です。自分のではない人生についても目を配ると、新しい考えが浮かんでくるんじゃないかという話題になりました。自伝について話してくださった方は、自伝がみんな「同じに見える」と仰っていたのが興味深かったです。

 

 

ライフハックと、エンタメとしての「人生変わる」

片付けの仕方で人生が変わると主張する本があるようです。すごく売れているようです。あるいはライフハックなどの知恵も、ある意味で人生が変わるくらいのポテンシャルがあるのかもしれません。こういう文脈で言われる「人生が変わる」は、人の興味を引き付けるためのエンターテインメント要素の強い常套句のようなものではないかという考えも出されました。

 

 

〇人生ゲーム

参観者の方の一人が、人生を人生ゲームになぞらえて話をするシーンがありました。「人生が変わらないというのは、人生ゲームで出る目があらかじめ分かっているというようなものじゃないのか」というような議論や、人生ゲーム上でも過去のイベントに対して解釈が変わることがあるというような説明がなされました。

 

 

〇人生変わるって考えたほうが、面白い!

対話の最後に、一人ひとりからまとめの意見をもらうときに、二人の参加者から「変わると思ったほうが、人生は面白い/やる気が出る」という意見を頂きました。人生に対する考え方よりも、実際に生きることのほうが大事ですので、面白さややる気という部分に注目するのはとても大事なことだと思いました。

 

 

************************

 

 

多様なご意見をありがとうございました。

さて、提題者です。私は「人生は変わったりしない」という立場で対話に参加していました。比較的ひろく使われている「人生が変わる」という言葉の真実がどこにあるのか、というのが私の疑問だったのですが、追い求めていたものは現実の複雑さのなかに紛れて行ってしまいました。このような曖昧で、なのにリアルな言葉というのはもともとそういう性質のものだったはずなので、これでよかったという気持ちでおります。

私は、生活が思考をリードするものだと信じています。考えが生きることを導くのではない。それでも生きることについて考えるのは、役に立つとか立たないとかではなく、とても人間的なことだと思います。そのうえで、やはり考えたことのために生きるのではなく、生きることのために生きるのが大事なのだと思います。「人生が変わろうと変わるまいと、大事なのは今日を一生懸命生きることだ」という意見もありましたが、そういうことであろうと思うのです。

がんばっていきましょう。

 

f:id:DIALECTIQUE:20190903162247j:plain