第5回哲学対話カフェ 開催趣旨

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第5回哲学対話カフェ in Sapporo

「『歎異抄』を誤読する」開催趣旨

 

 

皆さん、こんにちは。

時間が空いてしまいましたが、今年最初の哲学対話カフェを開催いたします。

 

日時 :2月22日(土) 9:30-11:45

場所 :札幌エルプラザ2F 環境研修室2  (札幌市北区北8条西3丁目)

参加費:無料(少額のカンパをお願いしております)

その他:途中入退室は自由です。哲学や仏教の知識は必要ありません。

 

 

◎『歎異抄(たんにしょう)』ってなに??

歎異抄』とは、浄土真宗の開祖・親鸞の口伝を弟子の唯円が書き残した書物です。

 

「密かに愚案を廻らして、粗(ほぼ)古今を勘(かんが)うるに、

先師の口伝の真信に異なることを歎(なげ)き、…」

(ひそかに、愚かな思案をめぐらして、親鸞聖人が御存命であられたころと、

なくなられたのちの今日とを思いくらべてみると、

先師(親鸞聖人)の口ずから伝えられた真実の信心とちがう異端が行われている。

なげかわしいことである。)

 

                  口語訳:早島鑑正

 

 

唯円によるこのような序文から始まります。

「異なる」を「歎く」、ゆえに「歎異抄」。

 

本文は18条の短い説文からなります。

第1条から第10条までは親鸞の法文、第11条から第18条までが「異端」に対する親鸞の言葉を用いた批判、という構造になっています。

 

最も有名な個所は、おそらく第3条のいわゆる「悪人正機」説ではないでしょうか。

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という部分です。

これ以外にも有名な節や興味深い考えがたくさん登場します。

 

 

◎誤読する

親鸞聖人のお考えはこういうものだ、だからここはこのように理解しなければいけない」というような、「正しく読む」歎異抄もとても面白いと思います。

 

しかし、今回は敢えて「正読」ではなく「誤読」をします。

 

当日は、歎異抄のテキストの一部を読んで、そこから思いついたことや納得がいかない点など、好き勝手に話し合ってみます。

まさに、異端。唯円の歎きは止まりません。

 

たとえば、上に挙げた「悪人正機」論を読むと、「善い人であろうとすることって、本当に善いことなのか?」という疑問が浮かんだり、

「そもそも、悪人や善人になろうとしてなれるものなのか?」などと考えてしまいます。

 

こういった素朴な地点からスタートして、考えを共有したりさらに疑ったりしながら、対話を深めていこうというのが今回の趣旨です。

 

当日は『歎異抄』のなかから2つか3つの章を取り上げます。

どこを取り上げるかは当日のお楽しみです。

 

仏教に興味のある方もない方も、対話が得意な方もそうでもない方も、奮ってご参加ください。ものの見方が少しだけ変わるかもしれません。

ファシリテーターが参加しやすいようにサポートいたします。

 

参加のご予約・お問い合わせは

dialectique.sapporo[at]gmail.comまで!

 

それでは、当日お話しできますことを楽しみにしております。